最高にロックな虚弱生活

精神も身体も最弱。常にどこか患っている。でも最高にロックに生きていようと思います。

事故と蛸

自分というものは、思っている以上に未知で恐ろしいものだと思う。自分から見ても、他者から見ても。

自分のことを誰よりもわかっているのは、果たして誰なのか。本当に自分は自分のことをちゃんと見てあげてきたか?

先日愚行録を観た。その中に育児放棄して逮捕された女が出てきた。でも彼女には放棄したつもりなんて微塵もなくて、自分の子供がとても大切だったのだ。彼女は幼少時代虐待や様々な危害を加えられることを経験した。だから、自分は子供に対して、何もしなければいいと思った。

それと一緒かもしれない。大切なのに、放っておくことが正しいことだと思っている。自分を育てることを放棄して、いつのまにか私は私のことを衰弱させたようにすら感じる。いつか私は私を殺してしまうかもしれない。

他己分析はとても面白い。くすぐったくてどこか自分が受容されたように感じる。承認欲求が人一倍あって、常に歪んだ自分を受け入れてくれと喚いている私にとってはありがたいことだ。ありがとね。

でもその他者から見た自分も多面性がある。重なっているところがあっても、あれ?どっちだ?となる部分もある。

本当の私とは何なのか、と思ったが本当の私はどこにもいないんだろうなと感じる。私の中にもいないし、誰かの中にもいない。

意外だなー、と思うのは周りの目を見て空気を読みつつ、自らの意見は通していくというような分析をしてくれた人が多かったこと。そうか?と思う。私はどこまでも自己中だし、それを受け入れてくれなきゃ嫌だと思ってしまう傲慢さがある。だからそこまで人の目を気にしている自覚はない。どちらかといえば空気を壊してしまう方だと思っている。つくづく自分は嫌な奴だなと感じる。自分だったら自分とは友達になりたくないし、関わりたくない。

自分のことが一番信じられないなと思うことも、どうやら普通のことではないらしい。

靄の中をかき分けて、小屋をノックする。もしもし、私。君は何を考えているんだ、と問う。扉を開けることもせず小屋の中にいる私はただ要求だけをぼそりと呟く。それを聞いて、私は小屋から離れて自分の意見を外に発信する。さらにその意見に対して外から返事が返ってくる。その返事を持って私はまた小屋へ向かう。もしもし、私。君はこれを聞いてどう思いますか。

小屋の中の私は、先程何故自分がそう呟いたのか、何を考えていたのか、わからないと言う。

答えは靄に消えていく。そのうち、小屋自体が靄に隠れて見つからなくなる。

私は、私のことが一番信じられなくなる。

自分のことなんて、自分自身わからなくていいと思っているのに、自分を語れと言われる。そんなこと言われてもね。こっちだってわかってないのにおかしな話だ。だったら私は都合のいい私を提供するしかなくなるわけだ。変なの。

玉ねぎはどこまで剥いても中身がない。逆にいえばその剥いた一枚一枚が中身だ。

ぺらぺらで、でも語りきれない自分のことは、やっぱり誰にもわからない。未知だ。